宗徳書状
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収蔵品番号 | P14300 |
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指定 | |
名称1 | 宗徳書状 |
年月日 | 九月六日 |
差出・作成 | 宗徳 |
宛所 | 常子殿 |
概要 | 私信(当地は去月三十日以後より大嵐、病気療養の儀) |
品質 | 続紙 |
法量 | (1)17.2×51.0 (2)17.2×51.1 (3)17.2×51.1 (4)17.2×29.9 |
備考 | 桃色料紙 |
通番 | |
紙数・丁数 | 4紙 |
員数 | 1通 |
階層情報、墨書等 | 134番箱内 |
封紙 | |
包紙 | |
書出文言 | 時分柄朝夕ハ |
書止文言 | 荒々平祝 |
翻刻 | 「時分柄朝夕ハなんとのふ」(端書) 時分柄朝夕ハなんとのふ気風の吹初めたる心地して、凌ぎよく相成まし候、 母君さま御 始御まえさま御機嫌うるわしく御さえ/\しく御座遊はされ御祝ひ申入候、さて近頃ハ相 絶へて御無沙汰ニ相成御聞候段 母君さまへ幾重ニも御詫ひの程よしなニ御申上下され度 候、此地ハ去る三十日午後より大嵐ニてかてゝくわえて雷つちのそらおそろしく轟きて 絶々も入たき大雨ハさなから車軸を流すニ似たり、市内ハ家屋煙筒の弊れたるその数も夥 しく、人を傷つけ家財を失ひ親やいすれ子やいすこと悲泣するその哀れさいたましさハ 中々愚かなる筆もて尽すへくもあらす、誠ニ近来稀なる大荒ニこれあり候、当家ハ屋上の 瓦礫三十余を吹飛され高塀五間斗を崩され候まてニて、こたひの災厄中ニてハ誠ニ僅かな る方ニ候まゝ、おこゝろやすふおほしめし念入候、 当年ハ此身ニいかなるまかつみの来りしにや、六月頃より病ひの床に折伏して薬士の治療 を受けつゝも面白からぬ月日を送り候、漸く先月初めの頃よりいたつきのやゝ軽ろかりけ る折柄、止むなき人の勧めとて伊勢の国二見ケ浦へ海水療養として旅行なしたる、廿六日 なんの恙かもなく帰京致し候、名にしおふ二見の事なれハ、いさや此よりそのあらましを 御話し申上たく候、 見渡す所遠くハあなたこなたの国々、近くハ大島小島ハ波のまに/\見江つ隠れつ、その 風光の佳絶なるハつたなき筆の書尽すへくもあらす、浜風常ニ誘ひて限りなきこゝろの憂 きを払いつゝ海中ニ浴しおるその心地よさ、また夜間海岸松樹の下月を賞し景を愛し歩む 「ソゾ」(読み有) ともなく歩ミつゝ、歌人ならさるを縵ろニ歌句を得まほしきと相案し、 さやけさを一入まして見ゆる哉二見か浦の秋の夜の月 見渡せハ遠き小島ハ末きえて絵によく似たる山のおもかけ 「はな」(読み有) 浦波に声もまきれて沖遠く離れ小しまニ行千鳥哉 二見のお話しハ此でおしまい、そも/\歌ハ人々のこころをやわらけ、猛き武士も悪鬼鬼 神も頭へをかたむけ、又やまとこゝろを養成し日本人殊ニ旧公卿の最も特意としてたしな ミ候もの、当節とても宮内省ニハ御歌所となん申すも畏き御事なから、この道を奨励遊は させらる 大御心を深く有かたく思われてハかなわぬ、殊更女子ニハこのたしなミこそ願 わしく存し候まゝ、序てなからおん勧め申候、初めハなんてもかまわぬ、たゝ/\三十一 文字のみならへて数多くおんしつらいなされ、序て/\ニおんおくりなされ候へハ朱書を 加へておん返し申へく候、 先日章子へのお文ニ一度此地へおん越しなされ度やのよし、此身にても御勧め申度候、当 月ハ岩井此地へ参るとの事、梅小路殿先日東上のせつ、噂さ致しおり候よし、もし同人参 る事なれハ誠ニ幸ひのおん事とそんし候間、宗美殿へ御願ひなされ 母君さま御同行おゆ る/\御来遊御待申候、いすれ此身よりも宗美殿へも申送るへく候、先ハ久々母君さまへ 御機嫌伺方々右お便り申入候まゝ、よろしく/\御申上下され度候、荒々平祝、 九月六日 宗徳 常子殿 尚々母君さまへ一往、重子ヨリも文さし上、御機嫌伺ひ候訳ニこれあり候へとも、愚 筆の為いたく恐縮致し候段、これまた御まえさまヨリ宜敷/\御申上下され度候、 |
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